012802 ランダム
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真のママであるために

真のママであるために

別れ

私は旦那の思惑通り、子供を引き取りに旦那の家にすぐに行った。でも旦那は開けてくれなかった。近くに住んでる仲人さんに泣いて頼んだ。でも関わりたくないのか仕方なさそうに旦那に家を開けるように電話で頼んだが駄目だった。私は息子に会えずに諦める事もできずに夜遅くまでうろうろした。
唯一の頼りの地元の友人宅に泊まり事情を話すとその友人と友人の旦那さんが一緒に明日行ってくれるといい次の日になって御夫婦と旦那の家に向かった。すると旦那の車を家の前で見かけたので走り寄った。そしたら車に子供も乗っていて私達に気がつき旦那が車を運転して走らせ行ってしまった。
友人の旦那さんが後を追ってくれた。車がゆっくりになった時「ちょっと!止まって下さい!」と声をかけても聞こえてるだろうが無視して飛ばしていく。くねくねと乱暴な運転。子供が乗っているのになんてこと。もうやめてほしいと思った。撒こうにも友人の旦那も負けてないのでやっとの事諦めたのか旦那が車を止めて家の中に入った。友人の旦那さんが「どうして逃げたりするんですか!!」と言うと旦那が知らなかったとしらを切った。
私達の話を聞いて下さいと友人夫婦が無理やり家に上がりこんだ。私は息子を抱きしめた。友人夫婦が私に息子を返してあげるようにと頼んだが駄目だと一点張りで何度もしつこく言い聞かせるとだんだん怒鳴り声になってきた。家を追い出すようにしてそれでも返してくれと息子を連れ出そうとした。友人が「まことちゃん、まことちゃん」と手を握って離さなかった。旦那が血相を変えて真を引っ張った。今度は旦那が大きな棒を持ち出して私に殴りかかろうとした。友人の夫が私の前に立ちはだかってくれたので殴られずに済んだけど息子を連れ帰ることは出来なかった。友人が「まことちゃんが痛そうでかわいそうで強くひっぱれなくて離しちゃった。力になれなくてごめんね」と言った。でもここまでしてくれて感謝していた。
やはり裁判でなければ話し合いでは駄目だと思い手続きをした。親権をこちらにするのには働いてる間などに預けられる人がいるかどうか保育園以外にも自分の両親の助けも必要だった。実父がいるけど自営業だし、ひろみさんは子供の手が離れた時で子守はいやだろう。現実には助けにならなかった。
もうすでに私だけでは育てられないのだと落ち込んでいた。
そして仕事に就いていて経済面でもどうかというと「仕事はなんですか?」と聞かれたり書く欄に記入する時に困った。私は当時、パチンコ店勤務なんて恥ずかしいと考えていたからだ。世間からよく思われない仕事という古い考えを持っていた。この親で大丈夫なのか?という目で見られている、そんな気がしてならなかった。まだ若かった。世間知らずで離婚して外にでたら何も持ってなかった。裁判所の帰りに旦那に出会った。旦那が駅まで送るというので断らずに乗った。子供を抱きたかったからというのもあるけどその間、旦那は「子供はあきらめろ」「お前じゃ育てられない」と言っていた。
旦那が建てたばかりのマイホームを私に見せた。完成したのを見せれば私が思いなおして帰ってくると思ったのだろう。私はその大きな家を見て思った。私が子供を引き取ったら旦那はこの大きな自分の建てた家に一人きりで住むんだ。もう50近くになった男が子供もなく奥さんもなく。愛はなくとも情はあるという。最後まで息子の手は引けなかった。幸せにする自信も。
旦那ならなんでも持っている。裕福に暮らしていけると私も思う。
それでも記憶がうすれてしまうであろう真に最後にこう言った。
「必ず、帰っておいで」


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